【県外酒蔵探訪 -田村酒造場(東京都福生市)-】
2009年 10月 01日
続きの前に!!
【田村酒造場】
福生村の名主を代々つとめていた私ども田村家は、文政5(1822)年九代目勘次郎の手により造り酒屋という家業を興し、ここに蔵元としての歩みを開始しました。私どもは明治中期まで総本店として、武州一帯(多摩地区、神奈川県、埼玉 県の一部)に24の店蔵をもち、経営面、技術面において各蔵を指導する役割も担っていました。これらの蔵の中には年産四千石という蔵もあったそうですが、嘉泉は千五百石前後という造り高を頑なまでに維持しました。これは初代・勘次郎からの家訓である、「丁寧に造って丁寧に売る」の精神を守り通 した結果です。この精神は代々きっちりと受け継がれ、今も嘉泉の中核にどっしりと座っています。
酒造りを開始するにあたり、九代目勘次郎は敷地内の各所に井戸を掘ったそうです。すると、大ケヤキの傍から滾々(こんこん)と、清冽な泉が湧いて出た。この豊かな水脈こそ、秩父古生層の岩盤から湧き出る秩父奥多摩伏流水で、水質は中硬水、酒造りに最適な水でした。 これこそ、田村家の酒造りの未来を占う吉兆ではないか。
九代目はこの水を「よろこぶべき泉」として讃え、酒銘を、「嘉泉」と命名したのです。
嘉泉ではこの180年前の井戸を、今もそのまま仕込み水として使っています。「よろこぶべき泉」は創業以来不動のものとして、嘉泉の酒造りを支えているのです。
時は昭和50年前後。嘉泉は、前代未聞の試みに着手しました。「抜群の高精白を誇る、本醸造を造る。それを二級酒として販売する」、それは現当主15代田村半十郎の大英断でした。酒の名は『まぼろしの酒 嘉泉』。醸しだされた酒は、これまでに例を見ない優れた酒質から、酒通の間で大評判。以降、嘉泉といえば「まぼろし」がその代名詞となって今日に至っています。
思えば私ども嘉泉には先代・半十郎のこんなエピソードも残っています。時は戦中・戦後。甘い酒がもてはやされ、嘉泉の特長である辛い酒は売りにくい時代でした。杜氏は思い余って進言したという。しかし、前当主はきっぱりと突っぱねたそうです。曰く、
「ばか、言うんじゃねえ。昔から酒呑みは、辛党と言うじゃねえか。甘党には、羊羹をやればいいや」と。 (「田村酒造場」HPより抜粋)
入ってみよう!!!!!
いつもなら蔵見学もされているらしいのだが この日だけは諸事情によりお休みであった(涙)!!
・・・また 蔵見学が出来る時にでも再来してみよう!!!!!
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今日は10月1日 「日本酒の日」です!!皆さん 美味しい日本酒呑まれてますかー!!? さて 話は変わりますが今週末は定例会になりますので参加メンバーの皆さま どうぞ 宜しく~♪
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